カウンセリングは結局キレることの連続

この記事は、「怖くなくなる気、ある?」の続きになります。

カウンセリングの目的とは・自分の人生を掴むとは

自分が恐怖を手放す気がないとか、自分が怖いままでいたいんだとか

自分の中の気持ちや意識や感情を全て、受け身、受動的から主体的、能動的に置き換えて行く

本当の意味で自分の人生を手に入れる方法は唯一それしかない

それはステータスや社会的身分やらは関係ない、金持ちや成功者になることでもない。よく聞く言葉だけど、これぞまさに“自分との戦い

境遇のせい、人のせいにしていても掴めない

結局カウンセリングなんてキレることの連続

そういう方向へカウンセリングをして行くということは、自分が被害者と思っていたことを「あなたがやりたくてやっていたんだよね」と指摘されて行くわけだからキレない人はいない。

というか、キレてなんぼみたいなところがある。

僕も数えたことないけどカウンセリングでキレた回数は多分100回は越えているかなぁ。

そりゃあしんどくてしんどかったですが、最近はちゃんと言葉で表現できるようになりました。恥ずかしながら。

(最初の頃はよく黙り込んでスネて不貞腐れて八つ当たりモードになってました。)

・・・・・

自分が死に物狂いで人生をかけてやってきたのに

「それ意味ないよ」とか
「できてないよ」とか
「それは自己満足だね」とか
「嫌ならやめればいいじゃん」とか
「本気でやろうとしてる?」とか
「じゃあそのままそうしてればいいじゃん」とか

言われるわけで

それくらい残酷なわけで

でもそんくらいやらないと真実に辿り着けないわけで

(別にカウンセラーも、わざと怒らそうとしてるわけじゃないですし、そうは言っても溜め込んだ怒りに個人差はあります。僕はかなり多い方でしょう。なのでキレることが必ずしも正解とは限りません)

何にも代え難い財産

カウンセリングなんて料金も高いし…

なんで高い金払ってこんな不愉快な思いをしなきゃいけないんだ!っていう話ですけど考えてみて下さい

大人になればなるほど、そういうことを言ってくれる人はいなくなるわけです。大人同士で誰がそんな損な役回りをやるもんですか。

そう考えると、本当に何にも代えがたい“財産”だと僕は強く思うのです。これ以上の自分への投資はあるかと。

人としての成長はこれを経ずには有り得ないと思いませんか?(別に成長する必要もないのだけれど)

ちなみに一流なカウンセラーほどその指摘は的確であり見抜かれるでしょう

古い漫画ですけど、手塚治虫の「ブラックジャック」は僕の中で少しそれとイメージが被るものがあります

人としての本質を見抜かれるのです

見抜いてもらい、指摘してもらい、こっちはキレて…

の繰り返し。

その“キレ”は無駄ではない

勿論、“キレさえすればいい”という話ではなく

◎自分はどんな理由でキレたのか
◎一体そこに自分さえ知らない何が潜んでいるのか

それをカウンセラーと一緒に知っていくのが目的です

人は簡単には変わらないと書きましたけど

その最深部まで辿り着き、触れるようになったら変わって行くでしょう

ただそこには、長い年月とエネルギーとお金がかかりますけどね…

なのでまぁどうぞ、気張らずに。

そこでまた、「がんばらなきゃならない」と思い詰める必要はありませんよ。