怖くなくなる気、ある?

以前僕は、雇用関係や職場の人間関係が怖くて働けなかった

働かなきゃと思い求人雑誌を眺めはしたが、どうしても一歩が踏み出せなかった

「一緒に行ってあげようか」そう言われたこともある

そしたら怖くないかも、怖くならず行けるかもしれない

そう思ったのと同時に、怖くなくなりたくない自分も感じた

怖いままでいたい自分”を。

・・・・・

それって奇妙なことだ

あれだけ怖いのは嫌だ怖いのは嫌だと言っておきながら手放す気がないだなんて

怖くないよ、大丈夫だよ、という言葉を信じようとしなかった、聞きたくなかった

その言葉に対し、そんなわけない!大丈夫じゃない!死ぬほど怖いんだ!と激昂していた自分

なぜそこまでして“怖いまま”でいたいのだろう

怖さを手放したくないその理由は、

恐怖してる自分に寄り添われたいから。

“怖くなくなること”が目的じゃなかったんだ

寄り添われたいということ

「さあもう怖くないからやってごらん」と言われてもやれない、やりたくない。1人で挑むのはもう嫌なんだ

一緒に寄り添ってほしい
一緒について来てほしい
一緒にやってほしい

そう考えると、心が求めているのは本当にごく自然なこと、当たり前なことだと気づく

当たり前のように親が子にやってあげること、そこに理由などなく。

やってもらえてこなかったことを やってもらいたがっているだけなんだね

できなくて当たり前のことに できるまで付き合ってもらいたいだけなんだね

1人で生きてきた人たちには、この気持ちが分からない

「一緒に寄り添われたい」と自分が望んでいる自覚さえないのだから

・・・・・

だけどね、書けばこんな簡単に聞こえるけど

怖いままでいたいんだね」だなんて認められませんでしたよ最初は

そりゃあもう、そんなこと言われたら頭に血が登ってキレちまいますよね

だけどカウンセリングって、幾重にも幾重にも重なったこの種の怒りを一枚一枚取って行くようなもので、そうしてやっと自認することができたんですよ

「怖くなくなる気ないよね」

ってことが。

カウンセリングは結局キレることの連続」へつづく