僕もイジメをしたことがある

人をイジメたことがある

「僕はイジメなんてしていない」という正義の側から

「イジメは卑劣で卑怯だよね」という正論は言いやすい

「実は僕もイジメをしたことがあるんだ」

ということはすごく言いにくい

そして実際僕もイジメをしたことがある

今でも思い出す度に胸がズキっとする

・・・

イジメをしたことがある自分

実際に自分がイジメをしたという事実についてどう向き合えばいいのか

方向性はシンプルだが、辛く厳しい道のりかもしれない

・・・

結論から言えば

実際自分がやってしまった事実は受け止めなければならない

その十字架は外すことはできない

重い重いと感じながら生きること

それしか道はない

イジメられた側の人はもしかしたらずっと僕のことを許さないで今も憎んでいるかもしれない

それを受け入れるしかない

許されたいし許されて楽になりたいけど、無かったことにはできないのだから

それだけのことをしてしまったのだから

・・・

許されることもなく、十字架を背負い続けるしかない

十字架を背負ってることに酔ってる場合じゃない

そうなった時どうなると思う?

自分をこんな風にした親が憎くなるのかもしれない

うんそれは順当な流れだ

だがそれも過ぎたらずっと自分との対話だ

結局親のせいにしていても何も変わらないからね

・・・

自分がやってしまったことも仕方ない

相手に憎まれることも仕方ない

そうやって生きるしかないでしょう

そして不思議なことに

そうなったあなたのことはきっと相手も憎んでいないよ

もちろん、和解とか、仲直りなんかしないよ

あくまでも意識の奥の話ね

例えば僕も、自分の親に対して憎んでいて許さないし、許したくても許せることではないから絶縁状態だけど

意識の奥では、「まぁこんなもんか」とか思えてたりするというか

そういう感じだよね

ちゃんと向き合わなければここまでは来られないよ

・・・

イジメはね、心の底からおぞましく、やる側のその残忍さ・稚拙さに殺意を覚えるし、その行為は許されない。どういう理由があろうとね。

けれどやった側も、そんなことをやる子に育っちまった背景があるわけで。

その子も、自分がやっちまったことと向き合い苦しむ資格はあるわけで。

まぁ、自分がやった行為の重大さを反省せず向き合わず、十字架を背負うことを認めず生きてる人の方がはるかに多いのだろうけど

そういう人達は一番人として「救いようがない

最も軽蔑する人種

韓国映画はここら辺描くのが上手いよね

・・・

やってしまったことは仕方ないよ

激しい優劣環境の中で支配されて育てば、誰だって弱者をイジメたい衝動が沸く

きっとそれは抑えられないだろう

子供ならなおさらね

だから大事なのはその後、自分がやったことに対して真摯に向き合えるかどうか。

だからね、

ある意味、イジメする側になっちまった人の境遇も知らずにただ単に愚か者として切って捨てる著名人・コメンテーターの人とかを見ると、「人のレベルとしてあんま変わんねーよあんたらも」って思ってイラっとするよね

お前らが偉そうに見下してんじゃねーぞってね

・・・

苦しさを背負って人知れず、ちゃんと向き合って生きてる人だってたくさんいるんだ。目立たないけれど。

本当は、リスペクトされるべきはそういう人達だと僕は思うね。

そして最後に

小山田圭吾さんは、実際会ってみないと本当のところは分からないけど、入って来る情報だけで判断すると、自分のしたことをちゃんと受け止めてるようには見えないよね。