無力な自分6(出会い)

子は親を選んで生まれてくるという説がある

なるほどねと思う部分もある

というか、そうでなければおかしいと感じる瞬間すらある

・・・

中島みゆきの「糸」という歌も

なぜ巡り会うのかを、いつ巡り会うのかを私達はいつも知らない

というのがあるけど

うんうん、確かにねと思う

出会いに関して僕たちは無力だ

・・・

どうしたら出会えるのか

僕にはその方法は分からない

ただ、出会えない人は、

そういう人と会うことよりも他にもっと優先したいことがあるように僕は思う

本人にさえ自覚はないだろうけど

そして時が来れば、望まなくとも出会いは訪れる

・・・

だから、言うならば本人の意識次第かな

本人の意識の準備が出来ていなければ

目の前にそういう相手がいても気付かないはず

うん、その表現が一番しっくりくるな

本人の意識次第で、出会いはすぐに訪れる

目の前の出会いに気が付くだけだと思う

本当に極端な言い方だけどね

・・・

出会えた人のことを羨んだり、妬ましく思う気持ちは分かるけど

もし出会えていないことが嫌ならば

ひたすらそれを味わうしかないのだろう

それをどう感じるのかはその人次第だ

惨めと感じるのなら、それを感じ、噛みしめ

その後自分のこころがどうするのか見守るしかない

・・・

一つ言えることは、

思考や理性でこころを抑圧したり誤魔化したりするのは勿体ないということ

淋しいのなら、惨めならば、誤魔化さず味わうこと、感じること

それでしかない

・・・

そして

思考や意識より、こころに忠実に生きていれば生きているほど

出会えるということだよね

だってこころとこころが触れ合えるような相手と出会いたいんでしょう?

それを出会いと呼ぶんでしょう?

こころを抑圧していたら、相手からも見えないんだもの

・・・

男としての自分に自信がないとか、女としての自分に自信がないとか、そういう人も多いと思いますけど

そういう相手と出会う時というのは、そういうコンプレックス的なものは超えてきます

そういう部分ありきで結び付く関係というのは、所詮その程度です

だから男性・女性の部分に自信がないからと言って諦めるのは勿体ないです

・・・

後は、「この人といると勝手にこころが反応する」とか

「勝手に自分の心の蓋をこじ開けてくれる」っていうのってありますから

自分にとってのそういう相手が必ずこの世のどこかに居ると信じて探すのもいいかもしれませんね

何の根拠もないんですが、そういう反応させてくれる相手って、必ずいますよ