学生時代と不安に煽られる話 ~論破王ひろゆきさん~

学生時代

毎日のように同級生らと関わる集団生活。「“自分”でいられてる人」の生の迫力や魅力は凄まじく、憧れ、羨ましく、圧倒された。

どう言い訳したって自分は彼らより幼く哀れなほど未熟で、その差を肌で感じては顔から火が出るほどの恥ずかしさと劣等感を味わい続けた。

僕にはそれが悔しくて辛くて、だけどどうしようもなく覆せない目の前の現実だった。

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具体的に自分の何に対して劣等感を感じるのか、その時は知る由もなかったけど、とにかく自分を惨めに感じていた。

気にし過ぎだよ」という言葉は言われたくなかった。毎日こんなに痛烈に味わっている感覚を「気のせい」では到底片付けられないと、さすがに当時の僕でもそう思えた。

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小学校の高学年の頃から大学を辞めるまでの約10年間、集団生活の中で毎日味わい続けた負の体験は今も暗い影を落とす。

「今の自分のままじゃダメだ・成功しなくちゃ」という強迫観念が根底にあってなかなか消えてくれない。

テレビやネットニュースで自己啓発的なフレーズや成功者を見る度スイッチが入り、ザワザワし出しこころが休まらない。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の話に出てくる地獄に垂れ下がった一本の糸のように、「これを逃したら僕はおしまいだ」というような脅迫的な不安が僕を煽る。

不安に煽られる ~論破王ひろゆきさん~

最近ではよく、ひろゆきさんの言葉に“煽られる”。

お金の作り方に関して言えば彼はものすごく秀でている人なのだろう。彼に反論できる人は滅多にいないのではないだろうか。

気が付けば僕は「彼のように賢くならなければ」とか、「自分は彼が言うような“アホ”になってしまってないか?」とかを強迫的に気にしていて、そうなってる時はどこまでも終わりのない苦しさが続いた。

大丈夫だよ、彼みたいになれなくても。」そう言ってもらいたい、そして安心したい。けれど彼の実績や論破力は強大で、簡単にはそう思わせてもらえなかった。

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誰だってお金は欲しいし、華やかな世界に憧れるから、自分の知らないそんな世界からものを言われたら、みんな聞き入ってしまうのは当たり前だよね。それも人間らしいことだよね。

その上で、自分に問うてみる。本当にそんなにお金が欲しいのかな、本当にそんなに成功したいのかな、と「“強迫的なスイッチ”が入ってない自分」の意識へ語りかける。

すると、そうでもなかった、本気でそこまで望んでいない自分を思い出すことができる。すなわちそれが、スイッチを切る・解除された状態へ戻れたということなんだね。まるで催眠術から解けたかのように。

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自分には自分の暮らしや幸せがあって、そこそこ幸せというか、“自分はこんなもんでいいや”と思えていたり、それくらいでいいし、そうでしかないんだろうな、人生なんて。

もっともっと、楽でいたい。