“よかれ”と思って・フォレストガンプ

“よかれ”と思って・フォレストガンプ

僕は対人における自分の常識や感性に全く自信がない

自分が“よかれ”と思って相手にすることが“キョトン”とされるし

仕事においては、“よかれ”と思ってやることが「何余計なことしてんの?」と呆れられるか、または注意されるか、酷ければ怒られさえする

だから自分の中の対人における常識や、自分の感性に全く自信がない

相手と思うようにうまく通じ合えないのだ

(これは対人恐怖発達障害と同じ類の話でもある)

・・・

中には僕のことを“そういう人”と認識して、僕に合わせてくれる優しい人もいる

そういうシチュエーションの時もある

僕が相手のために「してあげてる」というつもりが

相手が、本当は要らないのに、僕のために「受けてあげる」「もらってあげる」という何とも奇妙な構図が生まれる

そして僕は得意顔。

相手が(低いレベルに)降りてきてくれてるんだよ」と以前妻に指摘された時、僕はキレてしまったことがある

・・・

自分が周りからそんな目で見られていたなんて知らなかったし

自分は「みんなにしてあげてる立場」だと思って良い気持ちだったのに

これ以上滑稽でカッコ悪いことってあるだろうか

まるで、「偉いねー」「優しいねー」とおだてられた子供がその気になってそのまま大人になってしまったようで

とても簡単には受け入れ難い事実だった

・・・

ちょっとした悲しさはあるよね

自分だってこんな風になりたくなかった

どうしてこんな風になってしまったのか

どうしてこんな、人から降りて来てもらわねばならないような

人から“相手をしてもらう側”になってしまったのか

そしてそれを指摘された時に抑えきれない激しい怒りがこみ上げる自分に、一体何と言ってやればいいのか

当時の僕に分かるはずもなかった

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例えば、「フォレストガンプ」っていう映画あるよね

あの映画の主人公がおだてられ、自分を知性が高いと思い込んで育ったような感じなのかな僕は

あの映画の中の彼は、「自分は人と違うみたいだ、人より見えてる景色が違うようだ」、「決して自分は人より優位な立場ではない」という自覚がちゃんとあったし、「そんな自分でも生きていていい」という安心感の元、一生懸命自分に素直に生きて行ったのだと思うし、そういうメッセージが込められた映画だと僕は思った。

世の中のいろんなことで苦しんでいる登場人物達と、自分というものにブレずに忠実に生きる彼が対照的で、みんなフォレストみたいな人のことをバカにしてたけど「本当に賢いのはどちらだろう」って思ったよね。

まぁ映画の話はいいんだけれど

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溜め込んだ「怒り」をプライドと呼ぶのか分からないけど

それを溶かして行くのは大変ですねぇ