
人から「できてるよ」、「やれてるよ」と言われた時に、
「できてないよ!」と、物凄く怒りを顕(あらわ)にせずにはいられない人がいる。僕もそう。
逆に「できてないね」と言われれば、また違う種類の怒りがはち切れる。
「じゃあどうすればいいのよ…」と相手から呆れられる。そりゃそうだ。
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「できてる」という言葉は、本当なら言われて嬉しいはず。
なのにブチ切れてしまうのは「本当はできてないんだ」と、自分が一番よく知っているから。
そのコンプレックス・劣等感の部分を刺激されるから。
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これまで「できなければならない」というプレッシャーの中で1人神経をすり減らしやってきた。
みんなはごく普通に60~80%くらいの力でやれてる当たり前の所作を、自分は140%くらい神経を集中させなければできない感覚があった。
それを「できてる」と呼べるだろうか。そんなはずがない。そう言われたくない。
その手応えはコンプレックス・劣等感を抱くには十分だった。
そしてそんな自分を異様に恥ずかしく思い、周囲にバレないよう必死だった。
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「できてるよ」で片づけられたくない。
こんなに困っているのに、こんなに疲れるのに、生きた心地がしないのに、これを「できてる」と呼ぶの?
困って助けを求めている人を放っておくための言葉に聞こえてしまうよ。
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激しくブチ切れてしまうのは、これまでの環境がいかに過酷だったかの表れ。
それほど感情が緊張し圧縮されてきたということ。
そんな環境に1人放っておいてごめんね。
できっこないのに、できると決め付けて押し付けてごめんね。
謝られることは、とても重要なこと。
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「できること」にはどうしても憧れるけど、それより大切なものは「できなくてもいいよ」という安心感。
それがあれば、できなくてもいい。
そして皮肉なことに、その方ができるようになりやすい。
それがないと、「また失敗したらどうしよう」「ほらまたダメだ」という風なネガティブな発想ばかり沸くことを止められない。
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完璧主義や感性の目盛が細やかな人ほど「こだわり」が強く、自分ができてないという思いも強くなりやすいと思う。
完璧主義自体が悪いんじゃない。
もしもそのこだわりが正の方へ向いたら、きっとその人の才能と呼べるものが発揮されるだろうからね。
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