自分が特別じゃなきゃ気が済まない人

自分は人より勝っている・自分は人より優れている・自分は人より特別だ

常に自分をそう思えていなければ“平穏な気持ち”でいられない。

何をするにしても他人との“比較意識”が顔を出してくる。

それが苦しくて苦しくて、辞めたいと思っても辞められない。一体どうしたらいいの?

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小さい頃、友達に言えなかった。「いーれーて」「僕も一緒に遊んで」

叱られなかった。「あなただけ特別じゃない」「ダメなものはダメ」「人と同じ」

みんな同じなんだよ。あんただけ特別じゃないんだ。

みんなと一緒に居たいだろう?だからみんなを大切に自分も大切にするんだよ。

そんなの当たり前のこと。いちいち自覚なんかしてなくったって、生きてれば勝手に身につくものなんじゃないの?

でもどうやら僕はそういう点において“歪み”を持っていたよう。

いわゆる「自分が特別じゃなくちゃ気が済まない人」なんだ。

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僕にとっても人生の最終課題かもしれないというほど大きなテーマ。

それほど僕の人生に深く食い込み、大きく影響している。「自分が人と同じだと認めるくらいなら死んでやる」と意固地になるほど強いものを自分の内に感じていた。

別の言い方をすれば「自分が人よりできてないこと」が我慢ならなくて、すぐに癇癪を起こしブチ切れてしまうような、まったく手がつけられない有り様だった。

自分に劣等感・敗北感を感じさせる人や物を自分の視界から排除し、全てそれらのせいにして自分の殻に閉じ籠った。ガッチガチにね。そして部屋の壁や物を殴った。

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コンプレックスの申し子

自分が考えたこと・選んだこと・決めたこと・挑んだこと。

自分のやることなすこと、自分の“実力”が露呈する(バレる)ことにものすごく過敏で、人からの評価が気になり全く自信がない。

人前での発表、注目される場面なんて生き地獄。頭が真っ白、パニック状態になる。今このまま爆死してここからいなくなりたい。

自分へのダメ出しも強く、自分を見られる・知られる事が怖くて傷つきやすい。

小学校高学年くらいから、学校生活はずっとこんな感じだった。

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人より凄くないと自分に価値があると思えない

出会う人、出会うもの全て格付けし、自分が上である理論・理屈を見つけなくては気が済まない。落ち着かない。

人に優しく温厚で余裕ある態度でいられるのは、その相手より自分の方が上だと思えていられるから?

典型的な“嫌なヤツ”。ドラマに出てきそうな悪いヤツ。人のことイジメるタイプのヤツ。

ネットニュースを見て、何か成果を成し遂げた人に対しても、「自分より凄い訳ではない、運が良かっただけ」という風に必ず“自分よりすごくない”という風に結論付けなければ気が済まない。自分を保っていられない

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器がちっちゃい?井の中の蛙、お山の大将。

本当はとってもちっぽけで、誰も助けてくれなかったから、為す術もなくイジけてしまっただけの可哀想なヤツなんです。可愛いヤツなんです。

歪んで捻くれてしまったけど本当はみんなと一緒に居たかっただけなんだよね。

そんなこと認めたくない?

人生をかけてイジけてしまってきたんだね。

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歪めてきた自覚

幼い頃、小さい頃、思い通りに行かない事象が目の前で起こった時の自分の“感情の処理の仕方”が間違っていたのだろう。都合の良い方へ解釈を捻じ曲げ自分の世界の中だけでは“自分は負けてないことにして”これまでの人生を生きてきた。

延々と言い訳したくなるし「俺のせいじゃねぇ」と言いたくなるけど、やっぱり目の前の現実を認めようとせず生きてきた自覚はある。悔しいけれど。

そう。「悔しい」という言葉もほとんど使ってこなかった。負けたことを認めてこなかったからだ。「悔しい」という言葉は、ちゃんと“自分は負けた”と認めてる人からしか出てこない。

おそらくこれは本来持って生まれた「負けず嫌いの気質」が正しい方向へ向けなかったという話なのだと思う。この気質が強い人ほど、「殻への閉じこもり具合」は比例して強度が増すのかもしれない。

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殻から出ておいで

だけど、いろんなものを見てはその都度自分の中で論破し続ける事にもう疲れた。

誰かこんな僕を変えてくれ」とこころから願ったけれど、変わると決めてその一歩を踏み出すのは自分しかいない。

1人では無理。そばにいて導いて見守って応援してくれる人が居てくれて、ようやくちょっとずつだけでも「進んでみようかな」とたまにフと思う瞬間が訪れたりする。その合間を縫って行く感じ。

そんなこと言ったって、これまでも何度も挑戦してきたけど失敗ばかりで、また失敗を味わうのが嫌だと心底思ってるから挑戦が怖くてたまらない。「またどうせ自分は失敗するから」その思いが拭えない。

進む方向がそっちじゃなかったんだよ。僕には僕の、君には君の、ちゃんと進む方向がある。そっちにはそもそも“失敗”という「概念」もないから、これまでみたいに失敗するという発想自体要らないんだよ。

「努力」や「練習」という言葉より、「興味」と「楽しさ」へ変わる。その次元に居ることが正しい方向だから。苦行や忍耐のイメージは違うからね。

嫌なこと我慢してお金をもらう人生から、好きなことしてお金もらう人生に変わるような変革かもしれない。

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殻から出て歩き始めれば、これまでの地獄が嘘のように、「欲しがりません勝つまでは」というような世界から「欲しい人は言ってね」という感じに変わり、これまで思い込んでいた成功するために正しい・必要だと信じていた重労働は一体何だったの?という感覚がある。

言葉で言うほど簡単な話じゃないけど、すごくシンプルに書くと、僕が味わってきたのはそんな感じのこと。本当に、何年もかけてね。

すぐに一発でなんて無理だよ。