大昔に流行った「ガチンコラーメン道」みたいな
僕はああいう雰囲気が苦手だ
けれど、「ああいう厳しい?環境に身を置かなければ、僕の人生は終わりだ」
と本気で思い詰めて挑んでいた時期があって
その頃は本当にしんどかったなぁ…
(関連:価値のない自分になること)
・・・
奇妙な話だけど、僕は「教わる気がない弟子」だった
頭・理性(Aくん)では、「教わって自分を磨かなきゃ」と思っていても
心・感情(Bくん)では、自分が「教わる立場」ということに屈辱感・不服・納得いかず、認めてなかった
(当時はまだBくんの存在に気付いていなかった。)
だから、集中できず、頭に入ってこず、身が入らず
何をしても結局一人前にはなれなかった
(関連:僕は頭を使えてない)
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教える側からしてもさぞ困惑したに違いない
「この子は一体何なんだろう?」とね
謙虚な姿勢とヤル気ある態度なのに、何かズレてるというか…
「え?やる気ある?覚える気ある?」
と思われても仕方ないような初歩的な間違いを犯す
そんな自分がどうしようもなく惨めで情けなかった
そんな体験を何度も繰り返せば、そりゃあ失敗体験の蓄積、「自分は何やっても無駄」という境地にもなりますわな
・・・
でもおかしな話だよね、蓋を開けてみれば「教わる気がないのは自分だった」なんてね
こんな滑稽な話ってあるかな、コントの題材にできそうだよ
それに、これに気付くのに一体何年かかったのやら…
味わってきた徒労感と絶望感は、言葉では到底言い表せません
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大事なのは、
「このままでは自分の人生は終わりだ」みたいに思い詰める必要はないということと、
自分の中のBくんが何をそんなに怒っているのか、そこに耳を傾け、寄り添ってあげることだよね