小山田圭吾氏のいじめ問題
彼のしたことは断じて許されるものではないが
彼をネットで誹謗中傷・攻撃したりするのは
つまり彼がしたことと全く同じこと
彼と同じことしてるよね
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彼を嫌うのもいい。僕もものすごく嫌いだ。
けれど彼をわざと仲間外れにしたり彼へ“嫌がらせ”をしたり
彼が苦しむことを無関係の僕らが彼に対して仕向けるのは違うと思うよね
それを“イジメ”と呼ぶよね
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「私は彼と一緒に居ることを望まない」「僕は彼を選ばない」という僕の選択の自由と
彼を意図的に仲間外れに仕向け悪口を言い貶めてしまえ という“攻撃”は別もの
誰にだって彼を攻撃していい権利などない
あるとすればやられた側の人たちだけだろう
自分の人生で抱いた不満や怒りや憎しみなどのうっぷんを、ここぞとばかりに無関係の彼にぶつけることは卑劣だよね
社会通念に従い、規律に従って生きている人ほど、彼を罪人扱いし、彼を攻撃していいという切符を持った気になるのでしょう。
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僕は彼を軽蔑するし、彼の音楽がどんなに素晴らしくても聴きたいとは思わないし、これまで音楽業界で働いてこられたこと自体が悔しい。今後音楽家として活動しなければいいのにと思う。
けれど彼が音楽を創り、その需要があり、商売として成り立ってしまうのなら仕方ない
そんな彼の音楽でも聴きたいという需要があるのなら。悔しいけれど、それだけのことでしょう。
小室哲哉さんの時だって、同じように僕は思ったよ。あんまこの人の音楽聴きたくねーなって。でも全然簡単に復帰してるじゃんか。悔しいけれど。
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今回の騒動は、依頼を引き受けた小山田さん本人の意識も疑問だが、彼を選んだ側の意識の低さの方がもっと問題だと思うね。
五輪に関して出てくる問題の数々は、とってもお粗末過ぎて書く気にもなれない。いちいち腹を立てていたらこっちの身が持たない。
まぁ、始まったら、ビール飲みながら観るんだろうけれど。
そんなもんだよね。