無力な自分3(自分を感じたい)

みんなだってちゃんと自分で選んでいるはず

ただそれに気付いてないだけ

あるいは認めたくないだけ

何故ならそれを認めるということは

自分の無力さも認めなければならなくなるから

・・・

言い訳していたい

自分を守るために

自分には選択肢などなかったってね

それは自己防衛反応として当然・当たり前のことなんだけれど

その殻を破らない限り

自分が嫌なことから目を背けて蓋をしているような後ろめたさや

罪悪感のような不愉快さから逃れることはできない

・・・

それを感じてる人はまだ見込がある

それを感じない人は大勢いるし、そういう人とは文字通り会話が成立しない

・・・

自分が傷つきたくないから認めたくない

という反応は卑怯でも何でもない

ただ、育つ過程でそういう風に目の前の事実を歪め、すり替えてやり過ごすしかなかった

そこは大いに自分を慰めていい

誰も助けてくれる人はいなかったとか、不遇だったとか、それは事実だから

けれどずっとそこに居るわけにもいかない

認めるということは傷つく

痛みが伴う

けれどもっと自由になりたいとか

「生きてる」と感じたいとか

自分に安心感や自信を持ちたいと思うのならば

他に方法はない

・・・

「それをどうしても認めたくないんだ!」

という拒絶反応があるのならば、それを言葉にして表現し、聴いてもらうこと

「認めるなんて無理」という自分を知り、自認すること

「自分は認めたくないんだ」でいいんだよ

それを自分が知ってるだけで大成功なのだから