
教わるということは相手の力を借りること・力を分けてもらえること
「よろしくお願いします」という姿勢が求められる
それが相手に対する礼儀だ
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高校生ぐらいの時なんて部活でも勉強でも何でも
「できてない」ということも分かっていなかったし
義務教育の中の雰囲気・ルールしか知らなかった
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「教えて下さい」と言える奴・聞ける奴は強かった、伸びた
僕にはその概念・意識が全く理解できなかった
質問することが恥ずかしかったり照れてしまったり
そこまでハッキリと、相手に「お願いします」と、責任を持って言えた場面など生きてる中でなかった
自分に責任を持てている人でなければ、この言葉は言えない
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年は関係ない
人に「教えて下さい」と言う覚悟や責任がどういうことなのかなんて
「中学・高校くらいじゃみんなそんなもんだよ」
そりゃそうかもしれない
けれど中卒で働く子や早くに社会で揉まれる子など、それくらいの年齢でもそのルールを理解できるものだし、そういう人らのその部分に関して、説明はできないが何となく負けてる気がしててとても嫌だった
というかそこができなければ社会でやって行けない。社会に出る前にその土台がある子は、社会に出た後もやって行ける。
(余談だかうちの父も勉強しかしてこなかったから、会社に入ってからそういうところで通用しなかった)
大卒の賢い人達より、中卒・高卒で社会に出た子の方が“潰しがきく”とはよく言われるし
大卒の子は下手にプライドがあったり「教えて下さい」が言えない子が多そうなイメージは確かにある
肉体労働や工場や現場で働くには、技術や知識より人との関わりの方が100対0くらいで大事だ
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賢い
「賢いかどうか」というのは、“それを分かっているかどうか”
という意味でもよく使われていると思う
「学歴があってもバカはバカ」だとか
「アイツは何も分かってねぇ」だとか
つまりは、人と人が生きて行く中で「教えて下さい」と言えること
そのフレーズを言うことの意味を分かっていますか?ということ
人と人は対等であるから、教えてもらう時に“お願い”する。頭を下げる
義務教育ではないし友達でもないのだ
身分も学歴も関係ない
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高学歴
高学歴の人はこの話題においては、特に当てはまるのかもしれない
学歴で人を判断してしまう人を大勢見てきた
自分は上だと踏ん反り返り、「教えて下さい」を言えないパターンが多そうだ
僕の父なんかも100%そういう人で、偉そうにはしていたが、1mmも尊敬できたことがない
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可愛がられ
この「教えて下さい」ができる子は、やはり上からも可愛がられる
その光景を見て悔しかったし寂しかった
上の人を敬い、迷惑をかけないようにしよう、忠誠を誓おうと真剣だった僕より
「教えて下さい」を言えてぶつかって行ける子の方が可愛いがられる傾向があった
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発展途上国
発展途上国の研修生の人たちは、ほぼ皆こういうのができていて、日本の人たちがいかに負けているか、育ってないか
ということが工場では顕著でした
発展途上国の人たちについて行けない・やれない自分を痛感しましたよ
「コイツらバカだから」とか言って認めようとしない人も多かったですが
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社会に出た僕
20の頃、「教えてください」がどういうことなのか
それを全く知らなかった僕が社会に出た時
変な顔されたり、イラっとされたり、そういう反応をされたこと
今でも覚えています、色んなところで何度もね
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「教えてください」と言えることは、
とても大切なことだし、本来ならば当たり前のことなんだけど
ちゃんとできる人の方が少ない気がします
それをできずして社会でやって行けというのは酷な話です