東日本大震災からちょうど10年ということもあり、それ関連の番組がたくさんやっている。
阪神淡路大震災の被災者もそう、記憶は風化して行くが、被災された人たちの心が受けた衝撃やショックや恐怖や悲しみは癒えず止まったままなんだとある番組で言ってた。
そしてそれらに対する答えは今も出ていない、本当の復興とは何なのか、今も分かってないと言っていた。
僕もそうだと思うけれど、本当の復興だとか、被災者たちの心の傷に対しての答えというものは多分、そんなものは無いと思う。というのが僕の答えかな。
僕は被災した経験があるわけじゃないけど、こころの受けた傷についてなら同じように議論を交わすことができる。
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傷というものは、癒えて行かない。
そもそも、簡単に癒えて行くようなものならば、傷と呼ばなくてもいいんじゃないかな。
ならば答えは何なの?どうしたらいいの?という問いに対しては、寄り添うこと。それでしかないと思う。
その人たちが受けた傷を克服して復活して行くサクセスストーリーを求めるのはあまりにも酷だし的外れな話だ。
その受けた傷を理解してもらえること。受け止めてもらえること。それでしかない。
「そこからまた羽ばたける日を目指して」てな具合でどうしても物語を完結させたくなるんだろうけれど、そういう「答え」というか、終着地点というか、そういうものを作りたくなるんだろうけれど。そういう気持ちは分からないでもないんだけれど。
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だから傷。
ずっと苦しくて、ずっとこころの中にそれがあって。それに解決への答えなんてないよ。ただ寄り添っていてほしいだけ。
苦しかったね、怖かったね、辛かったね、そのどれもが言葉では文字では伝えきれるようなものじゃなくて。
だけど本当にちゃんと分かってもらいたくて、伝わってもらいたくて
ちゃんと分かってくれる人がいるからやっと「生きて行こう」という気持ちを持てるわけで。
それでもくじけてばかりだよ。
むしろくじけている時間の方が長いくらい。
だからくじけずいられる時間のことが なんて素敵で価値があるんだろうと、
それだけがあればいい、文字にすると安っぽくて嫌だけど、人生は本当にそれさえあれば幸福だと、僕にはそう思える
それが人生の意味だし、それを知るための傷だった。
傷から立ち直って何かを成し遂げることなんてどうでもいい。
そういう姿ばかりが、どうしたってメディアにはクローズアップされがちだけど。
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傷を癒せば本来の自分に戻れるんじゃない。本来の人生を取り戻せるんじゃない。
傷自体があなたや僕そのもの。
傷を味わうことはこの世のどれよりも辛いけど
本当にこころの底から辛くなければ やはり意味を感じられないのもまた事実。
本当に辛くなければ傷の意味がない。
傷自体が僕たち自身そのもの。