
僕が持ってる1番幼い感情は、父に対する怒りでした。
1歳くらいの頃、困って泣いている僕を見て無視する父、気付いてないのではない、完全に放置。父は全体的にそういう人でした。僕に興味・関心がなかったのです。僕はそのことに“人生をかけて”怒っていて、
「あっそ、僕に価値なんて無いんだね、なら死んでやる」
「幸せになってやるもんか」
「物事が上手く行かないのは全部お前のせいだ」
と腹の底で思いながらずっと生きてきました。ただ、そのことには無自覚で無意識で、カウンセリングをして行く中でようやく判明した事実です。
「死んでやる」ということに無意識だなんて、恐ろしいことですね。僕は二十数年間、そうやって生きてたわけです。上手く行かないことは全部「俺のせいじゃねぇ」。
全てそこから始まっている
でも僕の人生、僕という存在は“そこ”から始まっていて、そこに僕自身が気付かなければ、そこから派生している様々な案件を解明できません。自分でも説明ができません。
逆に言えば、僕の心に関する問題のほぼ全ては、そこにたどり着くのです。
そこに気付けることは大きな山です。ただ、気付いてからがまた大変でした。僕は、自分のその思いに気付いたところで、その思いを手放そう、怒りを許そうという気には到底なれなかったのです。
その事実に僕はとても落ち込みました。
「この自分の人生を台無しにする、果てしなく自暴自棄にさせる怒りは決して消えない、消えそうもない。僕はこの怒りと心中するしかないのか。僕の人生はお先真っ暗だ。」
実際、「この怒りが認められないなら死んだ方がマシだ」と本気でした。その怒りは凄まじかったです。自分でも到底制御できるものではありませんでした。
カウンセリングをする度に、「結局はその怒りがある限り同じだね」というところにたどり着く。そして落ち込み、途方に暮れる。
5~6年はそんな時期が続いたでしょうか。とても辛かったですが、次第にその怒りが収まってきたのです。
その怒りに触れ、自分はそのことに対してそれほど怒っていたんだねと自覚するだけでいい。収めようと思わなくていい。だってそれほど怒っているんだもの。気が済むまで怒っていさせてよ。それほどのことされたって言いたいんだよ。それほど嫌だったって言いたいんだよ。その思いを認めてもらいたいだけなんだよ。
自分の気持ちを自分や妻に聴いてもらう中で、本当に少しずつですが昇華されて行きました。
………
自分の中の1番最初の感情を知り、向き合ってきましたが、それだけでは終わりません。今度は主に母親によって植え付けられた劣意識、コンプレックス、癇癪が僕の中に渦巻いているのでした。
それらがある限り、何をやっても上手く行きません。途中でヒステリーを起こし、投げ出してしまうのです。
それについてはまた今度書いてみますね。
“0歳?1歳? 1番最初の感情まで戻る必要がある” への2件のフィードバック