メール相談を必要とする人へ
メール相談を必要としてる人、このページをご覧になっている方は、既に相当苦しい状況だとお察し致します。分からない・できない自分のせいだと、自分を責めてこられた方もいらっしゃると思います。
優しい言葉だけならいくらでもインターネット上に溢れていますが、傷ついた人のこころを癒すのは簡単なことではありません。それは皆様と同じく僕も身を持って味わって来たつもりです。
当サービスでは傾聴・カウンセリングの技法ではなく、僕もあなたの痛みを感じ、触れ、返信を作らせていただきます。
カウンセラーについて
人に聞いてもらえたり共感してもらえた時、安心できたり自信や勇気を持てたりします。偏見や優劣や倫理観などの「こうあるべき」のない、客観性を持ち人間の心をより詳しく理解している専門家に聞いてもらえた時、その効果は増します。
「この人になら聞いてもらいたいかも」という自分の気持ちが大切です。人に勧められたから仕方なく相談してみるのと、自分から望んで相談したのでは、相談の効果や理解に差が出ると思います。そういう意味では自分の直感や好みは大事です。HPが何となく良いと思ったからとか、そんなものでもいいと思います。
信頼関係
カウンセラーとメールを交わす中で徐々に信頼関係を築いて行きます。相手への信頼が増すほど自分の胸の内をさらすことはできます。もしお客様と信頼関係が築けなかったら、それは信頼を得られなかったカウンセラーの責任です。
お客様は選ぶ立場です。メールのやり取りの中で自分の気持ちが反応しないのであれば、そのカウンセラーとのやり取りに意味はないと思います。
「有名な権威ある先生が・プロがそう言ってるのだから、そうなのだろう」というものは偏った先入観であって、自分の反応や直感を信じた方が近道です。
メール相談の効果
効果1(安心感)
「明日〇〇があるから不安だ」とか、「やってみてどうでした?」とか、それを相談できたり、聞いてくれる相手がいるということは大きな精神的な安堵と安らぎをもたらします。1人で立っていられる強さを求めるのではなく、相談できる相手がいることで得られる安心感と安らぎを知ってください。人としての強さとは、我慢や忍耐の容量ではないはずです。
「怖いからそばにいてほしい、一緒に来てほしい」「これから〇〇がある、不安だよぉ」そう思うのは当たり前のことです。そういう自分の気持ちを大切にしてあげてください。それは弱さではありません。むしろ大切な産声であり、その声を大切にすることがあなた自身を大切にすることなんです。本当です。
自分の中にそういう気持ちを感じないという人は、よほどそういう相手がこれまでそばに居てくれなかったのでしょう。自分を律する自分をもっと緩めることができたら、そういう感情が沸いてくるかもしれません。
効果2(コンプレックスの解消と自信の回復)
お客様が自分の胸の内をさらけ出し、僕が客観的視点から対話することによって、お客様の不要な思い込みや卑下している部分がほぐれたり解消されることがあります。
お客様が抱くコンプレックスや自己卑下している部分は大抵周囲から植え付けられた思い込みである場合が多いですし、また「大丈夫だよ、それでいいんだよ」の一声がもらえなかったがために肯定感を持てずにいる場合も多いです。
誰にも言えず1人で苦しんでいるのは本当に辛いことです。その期間が長ければ長かったほど、その苦しさは言葉では表せないでしょう。あなたを否定し自分を責める様々な要素を残らず話しましょう。それをちゃんと理解してもらえた時、ようやく気持ちが軽くなれるはずです。
人のこと妬むもよし。どうしてもアイツが嫌いだとか、許せないだとか、そういう話だってしましょう。妬みの熱量なら僕だって負けませんよ(笑)。
「人を憎む、人を妬むのは良くないこと」という倫理観?のようなものも不要です。ただ自分の気持ちや感情を何の裁きもなく受け止め、それでいいと認めるだけのことです。自信や安心感というものは本来そうやって宿るものだと思います。憎む、妬むこと自体は悪いことではありません。
効果3(客観性の取得と自己整理)
何が問題なのか、どうしたらいいのか、今あるモヤモヤを吐き出し、僕が聞くことによって整理し、何が問題なのかを明確にし、その解決策や納得地点、何を持って解決かというところまで付き添います。
モヤモヤしている時、お客様は自分でも何でモヤモヤしているのか分からない状態だと思います。そのモヤモヤの原因と解決方法を探ります。そこに偏見や倫理や一般常識や依存関係・癒着関係があると、その解決方法がブレて、人間本来のこころの自由さを狭めます。
円満解決が唯一の正しい方法とは限りません。笑顔で別れられないことだってある。それら様々な要素を取っ払い、こころ本来の習性に従った結論を導き出します。
かと言って誤解しないでくださいね。「円満解決がいい」と望むことが決して間違いではありません。大事なのは自分が「円満だけが唯一正しいわけじゃないのか」と知っていることでしょうね。(依存・癒着の中にいたらその答えは見つけられない)
極端に言えば、「犯罪を犯し逮捕されたって自分は構わない」と思う人がいて、そう思うことは別に構わないということです。「そんなこと思ってはいけない」という倫理観があるなら、そのクライアントの心に寄り添えるとは言えない。一応補足しますが犯罪を犯していいと促す話じゃないですからね。
それくらい倫理観を外して人のこころと向き合えるかということ。本当にそれくらい荒れ狂う人のこころを扱う覚悟のないカウンセラーが多い気がします。「手に負えないあなたは重症なので薬を処方して専門の病院で治療を受けて下さい」と放り投げるのではないか。別にいいのですけれど、たらい回しにされるクライアントの人たちが可哀相ですし、「手に負えない」「力及ばず」なのはカウンセラーの方であって、クライアントに落ち度はないのに、その事実が歪曲されているなら腹立たしいことです。
僕自身の体験
僕が初めてメール相談を依頼したのは23歳くらいの頃だったと思いますが、それが生まれて初めて自分の本性、本音、思い、考えを他人にさらすという経験でした。そしてそれが伝わったり、理解してもらえたり、卑下していた箇所がむしろ人より優れているよと教えてもらったりすることで、僕は安心感や自信を持つことができました。
「それは達郎さんは悪くないよ、おかしいのは相手だね」
「それは達郎さんが怒っていいんだよ」「怒る練習してみようか」
「それは相手の依存関係に付き合わされてるね」
「それは相手に利用されているよ」
「それは断っていいんだよ」
「それは失礼なことされているよ」
「がんばったね」「怖かったね」「明日はがんばってね」
お世話になったその診療所との出会いは、「腕の良いカウンセラー」で検索して見つけたところでした。「世の中の8割のカウンセラーや心療内科はヤブですよ」という感じの文言がその時の僕の心情と一致したので、「この人に相談してみたい」と思えたのです。
そのキーワードを検索した理由は、近所の心療内科やカウンセリング事務所へ行ってもいまいちピンと来なかったというか、むしろショックを受けたり凹んだりしたことが続いたからでした。
結果として約3年間メール相談・カウンセリングのお世話になりましたが、様々な思い込みを解消してもらいましたし、自信と安心を与えてもらえました。
今では信じられませんが、メール相談を受けるまで、親にNOと言えませんでした。嫌だとか、ムカつくとか、ふざけるなとか、言ったことがありませんでした。きっとそういう風に感情を出せない人が親を殺してしまうのでしょう。
僕の経験が役に立てたら幸いです。