支配

人は支配されれば歪むし

支配されなければ純粋でいられる

地位や権力という価値観に重きを置けば

支配されるし支配したくなる

何らかの形で人のことを支配したくなる人は

何らかの形で支配されたり支配を受け入れてる人でしかない

・・・

大体の人は、「支配されたくなくても支配された」と思いたい

けれど、「支配を受け入れたのは自分」という視点を持つことがその支配から脱する唯一の手段

自分には支配を拒む選択肢などなかった

そうでなければ生きて来られなかった

それは本当だろう

だが生きるために自分が支配を受け入れたと思わなければ

本当の意味では自由になれないのではないか

・・・

人を支配したくなる人は

何かに支配されている人

1番自由な人というのは

何にも支配されていない人のこと

そういう人のことを妬ましく思い屈服させようとしても

永遠に勝てない

屈服させ支配させた方が勝ちだと思い込んでいる人に

本当の自由や本当の自分などという意味など理解できないから

・・・

国と国でも支配がある

親子間でも支配がある

支配というものに疑問を抱かない人も大勢いる

“そういうものだ”と思って完結できているから

・・・

支配を支配と思わずに、「そういうものだから」と思い、何の疑問も感じない人に

「私を支配するのを止めて下さい」と告げても伝わらないのは

それが支配だと知らないから

文字通り“分かり合えない”

・・・

僕は父に対して“この人は殴るしかないんだなぁ”と悟ったことがある

どんな言葉を発しても伝わらないから

攻撃衝動で、怒りで殴りたくて殴るというよりは、「伝えるために手を出す」という

何とも冷静で理性的な判断だった

ピシっと軽くビンタした程度だったけれど

・・・

何かの支配を受けた人の顔は曇る

支配を受けてない人の顔は綺麗だ

曇って歪んだ自分の顔が僕はずっと嫌いだった

・・・

支配を受けてきた人、それに耐え、その中で頑張ってきた人には

その人の正義がある、その人の思いがある、その人の人生を費やした重みがある

それはそう簡単には譲れない

それがどれほどの執念・怨念なのかは世の中で起こる残酷な事象が物語っている

・・・

私達は「支配」された

私達がされたことは「支配」と呼ぶんだ

と自分が分かり、認められなければ

支配した側と対峙などできない

怖くてそれどころではないからだ

人が支配に立ち向かうことや

支配された自分のこころと対峙して行くということ自体が

その人の人生であり

人生をかけた課題にもなりうるのだ

支配が残す爪痕というものはそれほどまでに大きい

・・・

支配というものがどういうものなのか分かっている人は、人や何かを支配したりしない

「これは支配だ」と分かっていて支配する人はいない

人や何かを支配してくる人というものは、そもそもそれを支配だと思っていない

何か別の理論や言葉で言い換え、すり替えて正当化している

だから衝突・戦いが起こらざるを得ない

支配を支配と思わずこちらを支配してくる相手に対し

自分は自分を守らねばならないのだから

(関連記事:支配との戦い(マザーアースブログ)