教わる気がない弟子2(恐怖)

バイトや職場で仕事を教わる時、先輩や上司が不機嫌になるのが怖くて、内容を理解することに意識が集中できない

「すぐに理解しなければきっとイライラされる」と怯えて、そっちに意識が向いてしまうからだ

そして、ビクビク怯えている姿を見られたら、その様子に対してイライラされるとも思うから

「ビクビク怯える姿も隠さねば」という意識も相当高まる

集中など到底できない

(関連:頭を使えてないという惨めさ

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何かを教わるという場面にものすごく緊張して、神経がものすごく疲弊する

とてもじゃないが毎日など続きようもない

それが僕が引きこもりへ突入した理由でもある

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相手が不機嫌になることがものすごく怖い

これはおそらく父から来たもの

「不機嫌になった相手に自分は殺される」というような、死に対して抱くような恐怖が瞬時に沸く

不機嫌にさせたのは自分のせい・自分が悪いと感じる

その相手の“不機嫌さ”が自分へ向く、“自分はやられる”と感じる

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金銭・雇用

雇用関係や店員と客みたいに、お金が絡むと怖くてたまらなかった

ボランティアならよいが、金銭をもらっていると

それに見合う対価を払えなければ相手を不機嫌にさせてしまうという恐怖が

常につきまとうからだ

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こんな風に神経を擦り減らし、尚且つ周りのみんなに全然ついて行けないとなれば

とてもじゃないけれど、そこには居られなかった

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タイトルのように、これらの事情があるのに「教わる気がない」と言われてしまうのはとても悔しくて、カウンセリングでキレてしまったこともあったと思う

けれど世間一般の人から見ればそう見られてしまうのだろう

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「教わる気がない」だなんて、

まるで悪口・批判されてるように聞こえてしまうかもしれないけどそうじゃない

教わる気がないんだ、それどころじゃないんだ、ということだし

何ていうか、

「その状態のことを、教わる気がないと呼ぶのか」

と理解した方が、自分のこころや本質を理解して行きやすいと思います

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「本当は教わりたいんだ」という気持ちは嘘ではなかったけれど

少なくとも、その瞬間の僕は「教わろうとしてない」ということ

その瞬間は教わることより恐怖の対処で手一杯だったから

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これは「その手の恐怖をどうにかしたい」という話ではなく

「教わろうとしてない」についての話です