価値のない自分になること(強迫)

※これは数年前に書いた過去記事です

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なんでこんなに生きるのが苦しいんだと思ったら、価値のない自分に落っこちてしまうことをものすごく恐れていたから

「どう頑張っても価値のある自分になれない」という現実を突きつけられたら、死ぬしかないという結論になる

本気でそこまで思い詰めてしまう

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学生の頃からそうだったな

友達がいない自分、不登校になる自分、悩みを抱えた自分、勉強ができない自分、スポーツができない自分、、、etc

そういう自分になってしまうことを極度に恐れて、本当に、そうならないことが人生の第一目標で生きてた

「ありのままの自分でいいんだ」という安心感を持って生きてこられた人には絶対に理解されないだろうな、それがどれほど強迫的か

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小学校の頃、ノストラダムスの大予言が怖くて眠れなかったけど、その自分を知られることが怖くてしばらくずっと親に相談できなかった

蜂に刺されて「僕はこのまま死ぬんじゃないか」と怖かった時も言えずに一人で部屋で怯えていた

学校に行くことが嫌だったけど、不登校な自分になることの方が恐ろし過ぎて、悩みを抱えているという自分を周囲に知られることが恐ろし過ぎて、学校を休むことができなかった。それは「周囲に言うより死を選ぶしかない」という追い詰められ方で、死ぬことより知られることの方が恐ろしかった。

(自殺とかで「あんなに明るかったあの子が…」というのはそういうことなのだろう)

同じ理由で部活も辞められなかったし、日常のどの場面でもその強迫観念は僕に付きまとって離れなかった。

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逆に、価値ある自分にならなければと、何かで一流になる自分や周りからスゴいねと言われる自分や情熱大陸に出演するような自分になろう・ならなきゃという意識も強迫的で止められなかった

そして自分が落ちぶれたり生活保護受給者とかになることがものすごく恐怖で、死ぬことより恐れていた

(死なないために生活保護はあるのに、おかしな話だよね)

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妻が言った

「生活保護になったって、落ちぶれたって2人で生きて行ければいいんだよ」

僕のこの発作のような強迫観念が少し和らいだ

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「〇〇になったっていいんだよ」ってずっと言ってもらいたかったんだろうな、僕は

これまでの人生、本当にずっと辛かったね