発達障害

発達障害

過去に発達障害と診断された経験のある有名人や、様々なジャンルで活躍する人達が増えてきているよね

僕はそういう心に関する概念がより身近なものだと世間に認知されて行くのは良いことだと思う

ただ、過去に発達障害と診断された経歴がまるで勲章のように取り沙汰されている報道の仕方を観て、僕は悔しくなった。

(「本物の引きこもり舐めんなよ」という記事と若干内容は似ているかもしれない)

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幼い頃に発達障害と診断された人はいいよね

「この子はどこかおかしい」と興味関心を持ってくれる大人が周りに居たということだもんね

そしてこの子の将来を案じてくれる“意思”と“賢さ”が周りにあったということだもんね

(たしか中川家の礼二にもそんなエピソードがあったっけな。相当貧しい家庭だったそうですが。)

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僕みたいな人間も診断すればとっくに発達障害だっただろうけど、そんなことは到底許されなかった。

「そんなことはあってはならない」とタブー視され、「お前は恥ずかしいから外を出歩くな」という扱いになるであろうことは明らかで

誰も守ってくれない自分の本性を死に物狂いで隠しながら1人で生きてきたんだ

発達障害らしさを出す自由もなかったし、出せたとしても、その事実を受け止め考えてくれるような大人は僕の周りにはいなかった

(というか今にして思えばむしろ発達障害なのは父親の方で、家族がそれを支えてきたようなものだ。僕達から何もかも奪いながらね。)

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「発達障害=天才肌」というイメージ

発達障害な部分を許され尊重されて育つか、「恥ずかしいから隠せ」と言われ育つかによって、育つ芽がどう実るかは説明するまでもないよね。

僕は“僕らしさ”に対して極度のコンプレックスを感じ、僕を押し込めてきた僕に対し、押し込められてきたこと、表を歩くなと言われてきたことに対し、爆発的な怒りを抱いている。未だに両者は完全には和解できずにいる。

自分のやること、自分の作品、自分の好み、こだわり、それらのほとんど全てが、人に知られること・見られることが強烈に恥ずかしいと感じる。まるで生き地獄のように。

それは自分という人間を偽りなく生きて行こうとすればするほど苦しさに触れ、また、他者への強烈な嫉妬と憎しみを生む。

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他者への嫉妬と憎しみ

「僕は表を歩くなと言われたのに、どうしてあの子は堂々と楽しそうに表を歩き、みんなから愛されているの?僕は誰の目にもつかない部屋の中で自分に鞭を打って過ごしているのに。」

堂々と自分らしく歩くあの子を憎まないでいられる人はいるでしょうか。

発達障害と診断された経験をさもステータスのように経歴紹介されている有名人や活躍してる人達を見た時、心穏やかでいられるでしょうか。

僕のこの苦労は何だったの。僕はこんなに必死で隠して、毎日自分を痛めつけてきたのに。

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それが偉いと言われた気がしたからね。

「偉いね」って言って褒めてもらいたくてね、それこそ一心不乱に、自分の虐げ度合いは誰にも負けませんと胸を張れるくらい真剣に自分をイジメてきたよ。

それが欲しくて欲しくて、そのためにはものすごくモチベーションが沸いていた

「お父さんお母さん、ほら見て、僕こんなに僕を虐めたよ?偉いでしょ?」

薄暗い部屋の中から血まみれになりながら笑顔でそう訴える姿

まるで韓国映画のエンディング

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ようやくですよ

生きることが楽しいとか、そう思える瞬間が訪れるようになってきたのは

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過去に発達障害と診断された経験を持つと経歴紹介される人が僕は気が狂うほど妬ましい

けれど僕は彼らの活躍を見上げたくはない

「少なくとも僕より恵まれた環境だったんだよね」

そうやって負け惜しみを言ってやるし

僕だって自分の人生に誇りを持って生きて行こうとしているからね