密室の事件の謎
親が「心の孤児」だった時
育児が行われるその家庭の中は「密室」となる
その中で行われたことは、親に自覚もなく親自身も気付かず
そのとき僕らが何をされたのか僕たちに何が起こったのか誰も知らない
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僕たちは、その過去の密室の中で何があったのか
自分の心の現状・反応を頼りに探しに行く探偵のようなもの
人によってはその過去は血だらけの現場なのかもしれない。
それは当事者である「今の自分」でさえ丹念に捜査して行かなければ分からない“奥深くに眠る事実”なのだ。
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「そんなつもりはない。ぞんざいになんて扱ってない。本気で愛情を注いだ。」
今の自分のこころの状態を根拠に過去のことを親に尋ねた時、親からはそういう言葉が出てくるだろう。
それは嘘ではない。その当時の親が・今の親が、本当にそう思い込んでいた・いることは事実だから。
もっと正確に言うならば、親の「意識」の中では、それを愛と呼ぶことは嘘ではないから。
だから「謎解き」がより一層難しくなる。
「じゃあ一体犯人は誰なんだ?」
責められたくない親
「俺だってそういう風に育てられた」「みんなそんなもんだ」「甘やかされヤワに育ったからだ」「お前たちの持って生まれた心の弱さだ」「俺たちだって親をやるのは初めてなんだ」
そうやって不愉快になり反発してこない親はいないだろう。親としての責務を否定されることに形相を変えて感情を露わにしてくるかもしれない。「私は愛した!」とキレながら言い張ってくるかもしれない。
そして皮肉なことに、親としての自分の責務を責められる際に過剰に不愉快さを滲ませる姿がまた、こころの孤児らしく見えて仕方ない。
いつの間にかの攻守交替
「苦しいよ」と訴えているのはこっちだったはずなのに、いつの間にかほら、気が付けばいつもみたいにこっちが親の感情を受け止める側になっているよ。そしてその場面が「子供の感情を受け止めてない」ということを親は認識できない。
勇気を出して過去の話を親にぶつけてみた途端にこの展開。これまでの親子関係・家庭環境の図が凝縮されているよ。
「私達は愛情を注いできた!」「いつだって気にかけてきた!」と言い張る親のことを「そうだよね、ありがとうね」と受け止め続けてきた子の姿。どっちが親なんでしょう。まるでコントだ。
見切り
親に「見切り」をつけ、「生い立ちはどうあれ自分は自分として生きて行かねばならない」という心境になるには、「あぁ、親には分からないのか」「感じるセンサーがないんだ」と、肌で感じること、感覚で・体感で知ることが一番の近道だ。「悪意でやってるんじゃなくて、本当に感じることができないんだ」と。
理由
それを知るには自分の素直な気持ちや感情を包み隠さず親にぶつける以外に方法はない。それをしてこなかったはずだし、それをしてこなかったから親のこと(正体)が分からないのだし、それをしない親子関係になった理由が必ずそこにはある。その理由を知ることが一番大事なのだ。
結論
親のことが分かってくると、仕方ない、無理だと思えてくる。対等に意思の疎通を図ることが。
その上で関わったとしても、「愛情」や「親切」としてこちらへ「干渉」や「利用」をしかけてくる。
そしてそれを言っても伝わらないし、こちらが骨身を削って「教育」する義理も恩もない。
あるわけがない。
だから関わることを止める他ない。
寂しい?けれど、その寂しさより、「自分を侵されずにいられること」の方がずっとずっとマシだからね。