あれっ?僕って“できない方”なの?
あれ?僕って“できない方”なの?そんなバカな、そんなはずない。だって家庭では“できる方”で万能感に満ちた自分を感じられていたのに。
「でもどうやらそれが本当の現実らしい…?」と薄々わかってきた頃にはもう、そんな辛い現実を受け止めるこころの余裕は持っておらず…。
自分が特別、自分が1番でなければ気が済まない、自分が特別な世界じゃなければ不貞腐れる。というくらい傲慢な小山の大将になっていたよ。
自分は万能だと思っていた、そう思わせた家庭はほんとうによくなかったね。とてもとても恨めしい。
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辺りを見渡しても、僕くらいできない人が見当たらないよ。
「あなたはできていないんだよ」と現実を突きつけられ、「どうやらそうらしい」と思い始めてからは、むしろ自分くらいできない人と出会うことは滅多になかった。
というか出会わなかった。
なんだこれは。なんなんだこれは。
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人が怖かったこと、人に見られることが怖かったこと、その辻褄が合う。
そりゃあ怖いはずだ。
こんなに何もできない自分、みっともなくて情けなくて、同世代の人たちと居て恥ずかしくて、自分を見られることが怖いと感じて当然だ。
対人恐怖の辻褄が合う。
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でもそこからが始まり。
それはショックだ。とても大きなショックだ。
だけどそんな自分を見捨てずに一緒にがんばってくれようとする人がいたから、まだ人生を捨てずに歩んでみるかという気を少しは持つことができる。
それに、よく自分にこう言い聞かせる。
「自分がどんなに下でも、一生 “自分はできてる”って勘違いして生きてる人よりよっぽどマシだろ」ってね。
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「できてないよ」と人に指摘できる人は、ちゃんとできている人以外いない。
カウンセリングは「できてないよ」と教えてもらうことでもある。
そのとき人によっては抑えきれないほどの怒りが沸き出る。
だから難しい。
人のこころも。
人生も。