
自己一致
自己一致について、うんとシンプルに書いてみますね。
僕が自分を理解するのに使っているのはAくんとBくんの理論。
Aくんは「大人、親、思考、理性、左脳、世間的」に対し、
Bくんは「子供、子、感情、感性、右脳、個性的(自分らしさ)」という感じ。
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自己不一致な状態は「不安、自己否定、鬱、怒り」などを生みやすく、
自己一致な状態は「安心、肯定、自信、自分が好き」という感じ。
自己不一致から自己一致へ近づけるそのためにはまず、Aくんが学ぶ、気付く、知ること。Bくんは変わる必要はない。
Bくんは待っている。大切に扱われることを。表に出れることを。ずっと我慢している。
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自分の中のAくんが「まだBくんを大切にしたくない、Bくんより大切なものが他にある」と思っているなら、苦しさを感じることは避けられない。
問題なのは、自分の中のAくんがBくんより他を大切にしてる自覚がないこと。カウンセリングなどを通じて自分のそれを自覚できたら、「じゃあそんなこと止めようかな」とか「苦しくても仕方ないか」と思えたりする。(カウンセリングをする目的はそこに自分が気付くこと。)
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例えば僕の場合、Bくんがまるで3歳児だった。だけど僕はカッコいい大人な男として周囲から見られたいと望んでいた。それは努力や意志の力でどうにかなるものではなく、目指すこと自体苦しかった。(努力や意志の力でどうにかなると思ってがんばっている人は結構多い気がする。)
そして皮肉?なことに、例え3歳児でもありのままのその姿を可愛いと思ってくれる人がいるものだし、逆にそれを無理して背伸びして自分を大きく見せようとする人に違和感を感じる人の方が多いのかもしれない。
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30過ぎた大人がまるで3歳児のような振舞いをしている、、、。最初はショックだったけど、今ではそんな自分が好きだしむしろ居心地の良さを感じます。大袈裟に言えば、生きてる実感みたいなものさえ感じます。めっちゃ気持ち良いですよ。
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どうでしょうか、自己一致。シンプルに表現したつもりですが、上手く伝わったでしょうか?
自分の中のBくん
ある程度普通に育った人は、Bくんが3歳児ということはありません。僕の場合、幼い頃からAくんがBくんを閉じ込めてきたので見つけた時3歳児のままだったという感じです。
前述したようにショックでしたが、それよりも自分にフィットする心地よさの方が上回るし、今からでもBくんは育って行きます。なので見つけることは喜びという言葉が当てはまります。
そして自分が自分でいられたらそれだけで満たされるし、それさえあれば他に無くても大丈夫と思えます。
美味しいもの食べたい、旅行行きたい、もっとお金欲しい、贅沢したい、とかいう欲はもちろんありますよ。なにも聖人君主のようになるわけじゃありません。
そういう欲を感じてる自分が心地良いという感じです。そして思い切り悔しがれたり、妬めたりするのも心地良い。
けれど怒りや妬みとなるとまた別の要素が絡んでくるので、それはまた別の記事で書いてみたいと思います。
とりあえず今回はこの辺で。