自分の中のA君とB君~子供でいられる喜び~

大げさではなく、僕が生きてる中で一番幸福感を感じられる瞬間は、“自分が子供でいられる時”です。みなさんに上手く伝わるでしょうか。

自分の中の、A君とB君

僕はいつも自分の状態を説明する時に、自分の中に「自分を律するA君と」、「ありのままの存在のB君」という風に分けて考えています。そうした方が自分の気持ちや考えを整理しやすいからです。

幼い、生まれたばかりの頃はまだB君しかいない。でも徐々にこの世の中のルールを学び始め、自分を周囲に合わせることをし始める。それがA君。

僕の場合A君の出現があまりにも早過ぎましたし、うちの、いわゆる機能不全家庭という境遇のせいで、A君がまるでナチスのように厳格に形成されてしまいました。そんな厳しいA君はB君が怠たり駄々をこねたりすることを許しません。

「子供でいられる」ということ

で、“子供でいられる”ということはつまり、B君の方が優位な状態という感じです。精神的に無重力というか、そこには自分を縛るものがなく、ワクワクしたり喜べたりします。心が軽い。色んなことに感情が豊かに反応する。

僕にはそういう時間が生きてて一番心地よいです。何かお金や物を手に入れたり、何かで勝ったりといった要素は必要ありません。自分に許可を出すだけで本来手に入るものです。

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スーパーマーケットで、何かお菓子でも買おうかな~、美味しいデザートでも買おうかな~、今日は奮発してちょっといいもの買いたいな~。でもお金ないし我慢するか…(ちぇっ)

という風に自分の中で思考してる時はB君優位な状態。買える・買えないが問題じゃない。たとえ買えなくても幸福感を感じます。こんな風に思えてる時は。

逆に、僕なんかこんな高いものを買ってはいけない、買いたいと望んではいけない、僕にそんな資格はない。僕はそんな身分じゃない。今月あんまり稼げなかったから、そんな自分は美味しいものを望む資格はない

という風に思考してる時はA君優位な状態で、ものすごく辛く重いです。例え誰かに買ってもらえたとしても、「得した」くらいに思うかもしれないけど、幸福感とは別物でしょうね。

また、「えぇーっ!嫌だぁー!」という類の感情を言うのがとても好きで、それを言える時もとても気持ち良さを感じます。

それを言う自分を受け止めてくれる相手がいることで成立する喜び。一人じゃつまらないよお。

僕にとって“子供でいられること”は永遠のテーマです。もっともっとその時間を追及して行きたいし、そのために人生を生きて行こうと思っています。