父はそれを尊重と呼んだ

護ってもらったことなんかない。むしろ脅されてました。

護ってもらったことなんかない。むしろ脅されてました。

そんな境遇の中、そんな中でさえ、親から愛されたいと願うならば

一緒になって自分を傷つけるしかないでしょう

「そうですよね、こんな生きる価値もないヤツ、やっちまいましょう」という気持ちになって一緒に自分を貶めれば“仲間”にしてもらえる。“子分”にしてもらえる。錯覚であろうとそういう気持ちは味わえる。

泣きわめくことは逆らうこと。それはしなかった。

………

護ってもらうとか、そういう話じゃない

それでも一緒に居たあの形態

まぁ 言ってみるなら

外で働く父親のストレスを解消するためだけに僕らが存在してたというか

そして悲痛な母親を慰めるために僕らが存在してたというか

それ以外に僕らという存在はありませんでした。

それ以外に僕らの存在意義はありませんでした。

………

うちよりまともな家庭で育った子供たちとは

一緒に居ても上手く行きませんでした。

なんか少し波長が合う気がしたのは、やはり同じような家庭で育った子でした。

言い訳するわけじゃないけど、まともな家庭で育った子たちには何やっても敵わなかったな。

………

納戸から出てきた昔の8mmビデオ

僕がまだ1歳成り立てくらいの映像

泣いたりつまづいたり困ったりしてても

父親は無言でビデオを撮り続け

そして僕ももう父親へ助けを求めてない

助けてくれる対象だと認識してないから

うんうんなるほどね

やっぱり父親はそういう人だったって

改めて確認できましたよ。

そういう映像が何本かありました。

………

父はそれを「尊重」と言ってました。

子供へ興味・関心が無い親にとっては都合の良いすり替えですよね。

そして興味・関心はあったと言い張る父。

嘘をついてる自覚は本当に無いのかもしれない。

父の意識レベルの中では興味・関心があったそうです。

父の中ではそれを興味・関心があったと呼ぶようです。

もうそこに関して父と話す気はありません。

どういう人か、分かったから。

………

それでも小さいころ、父や家族を愛した気持ちは僕の中でも覚えていますけどね。

その気持ち自体は、良い思い出です。

そういう親にさえ優しい気持ちを持てた自分を誇りに思えるし

そんな自分をスゴイねって認めてやりたいし

そんな自分を誰よりも愛してやりたい

この先の人生はそのためだけに過ごせられればそれでいい