これまでの生き方は、“1人”だった
どうやら自分は1人で生きてきた人らしい
“普通の人達”はどうやら1人で生きてきてないらしい
“1人”で生きてきた人達
1人で生きてきた僕たちは
人に相談したり、甘えたり、頼ったりしてないらしい
普通の人達はそういうことが当たり前で
それらのことを人との繋がりや絆と呼ぶらしい
ーーー
文字通り生まれた瞬間から1人だった僕たちは
自分の心をどう楽にしたらいいのか分からない
普通の人達は、腹が減ったら食う、眠くなったら寝るのと同じくらいに
人に甘えたり泣いたり喚いたり怒ったりしてきたらしい
淋しかったら甘える、不満だったら怒るといった
「心の欲求に対する解決の答え」がすぐ側にあった
僕たちのこれまでの人生において、僕たちの心へは誰も人が介入してきていない
だから心のことは全部自分でどうにか解決してきた
それは淋しさを食べ物で満たそうとしたり、弱い者イジメで鬱憤を発散しようとしたり、自傷行為をしたり、目の前で起こる現実を受け入れられず自分の都合の良いようにすり替えたり…様々だろう。
とにかく一人称で心に起こる欲求を全て処理せねばならなかった
それが1人で生きてきたということ
家族と一緒に暮らしていようが、1人で生きてきたということ。
……………
淋しいという感情を自覚できない
淋しいという気持ちが分からない
ただ寝込むほど気持ちが重く鬱になる
死ぬことへの恐怖が麻痺している
自分の命がここにある実感がない
そもそも生きてる気がしてないから、死ぬことにも現実味がない
淋しさも恐怖も、感じていてはやってられなかったのだろう。
感じる回路を切ってやってきたのだろう
人間の心にはそういう自己防衛機能があるらしい
そうやってその環境で生き抜くために適応したらしい
ただその生き方ではこの世の中で何もやれず皆と噛み合わず
何をしても上手く行かなかった
次元
カタツムリと人間は、住んでる次元が違うらしい(マザーアース:哲学の部屋)
カタツムリには回転してる棒が円に見えて渡ろうとする
1人で生きてきた人たちはその次元に自分だけしかいない
そうじゃない人たちは皆と次元が繋がっている
“皆もここに居る”、“自分もここにいる”ということが分かるはずがない
自分のこころが自分以外の存在と触れ合った体験がゼロなのだから
自分という存在がこの次元に居る体験をしたことがないのだ
…………
僕たちは1人で生きてきたらしい
僕たちみたいな人のことを、“1人で生きてきた人達”と呼ぶらしい
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