
「面倒を見る」ということ
子育てにおいて
その子の面倒を見るということは
その子の癇癪を受け止めるということだ
ごまかさずその子の相手をしてやるということだ
「ダメなものはダメ」と叱れることだ
………
それに比べて“おだてる”のは楽だ
おだてるのは癇癪を収めようとする母親の怠慢でしかない
その子の癇癪は収まるが
その子の将来に負の貯金をしているようなもの
だって困難に立ち向かい解決すべき事案を後回しにしてしまうことだから
「ダメものはダメ」という1人の人間としての大切な常識の学習機会を逃すから
冷酷無比の独裁者タイプのようなワガママ・傍若無人・利己的な自我が育つことを促す。
本来ならばその子はその瞬間に向き合い、突きつけられ、解決すべきだったものを、将来大人になって突き付けられることになる
母親が楽をしたせいでね
しかもその蓄積は圧縮され、気付いた頃には本人も何で自分がキレてしまうのかその理由が分からないし、溶かすのに何十倍何百倍もの時間とエネルギーを要するのだから、こんなに難儀なことってあるだろうか
………
しかもその蓄積は、人によって、場合によっては、殺人へもつながりうる
殺人はもちろん犯した本人の罪だけど、その蓄積を作った人に責任は無いのかね
そんなモンスターを作り出した人のことを一体どう思えばいいのかね
法律では裁けないけど、“罪”という概念で考えるならば、誰よりも罪を背負うべきなんじゃないのかね
そういう親は大抵、自分らのしたことを理解できないし、する気もない。一切認めない。
やるせないけど、そういう人たちはこちらが見切るしかない。