コロナウイルス、不安の解除

連日、コロナウイルスのニュースばかり報道していますね。僕の住んでる地域でも、ちらほら感染者が出たという噂が流れ始め、あぁ、本当にパンデミック、映画の場面みたいなことになるのかなと不安と恐怖が沸いていました。

そうするとやはり、ストレスでしょうか、イライラしやすくなり、つい妻に当たってしまいました。ごめんなさい。

小さい頃から、「自分を見張る自分」が、そういう意識が僕の中に居ました。「油断するなよ、警戒しとかなきゃ大変なことになるぞ」という、過去の痛い思いからの教訓というか。

本来親からもらえるはずだった精神的な保護・吐き出し・肯定などが無かったから、何か精神的ストレスを受けた場合、自分でそれを教訓とし、「もうそれを味わわないようにしよう」という、自分を見張る自分がどんどん大きく膨らんで行くのでした。

「それは違うよ、悪いのは相手なんだよ」とか、「そんなことは怖くないよ、大丈夫だよ」とか、そういう安心させてくれる系の言葉が一切無かったからこうならざるを得なかったわけで、おかげで大人になる頃には警戒・注意・リスク管理ばかり。常にそのセンサーを張り巡らせ、他人から見たら「え?何でそんなことにこんなに神経質になっているの?」と、白い目で見られることに。

ガスの元栓閉めたかしら?と、何度も家へ引き返してしまうとか、毎日何時間も手を洗ってしまうとか、そういう話と似た話です。日常生活もままならないし、それに、その視線を向けられることが辛いの何のって。そりゃあ人と居るのが地獄にもなりますよ。

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話を戻して、コロナウイルスのことも、「何か買っておかなきゃヤバいんじゃないか?」、「何かしておかなくて大丈夫か?」とか、頭の中でずっと警戒・注意の神経が敏感なまんま。それもまた、妻と相談しましたよ、ええ。「あぁ、僕またそうなってたね」って。「そんなに神経質にならなくて大丈夫だよ」ってね。

言葉・文字にするとちょっと誤解されそうだけど、「どうにかなるよ」「そうなったって、それでいいんだよ」そういう心のこもった言葉の投げかけで、それだけで済むだけの話。本当、それだけで頭の中のサイレンが収まるっていう話。

独りで頑張って生きてきた人ほど、自分を見張る意識が強く、自分を苦しめているはず。そういう人は精神が弱いんじゃない。誰にも言葉を投げかけてもらえなかっただけ。そんな可哀相なことってあるかね。